Flour Party
創作小説を載せています
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霧はどんどん濃くなっていき、辺りが真っ白に包み込まれた。目の前にいるベラさんの姿が次第に霞んでいく。私は慌てて近寄り、風ではためくベラさんのマントを掴んだ。ベラさんがゆっくりと振り返る。
「つかむなよ。動きづらいだろうが」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ。すぐ目の前も見えないくらい霧が深いんですから」
ベラさんは呆れたようにため息を吐き、がしがしと頭を掻いた。赤い髪がひらひらと揺れる。
「この霧を吹き飛ばすから、少し離れてろ。ケガするぞ」
不愛想にそう言われ、私は慌てて手を離した。数歩下がっただけで、たちまちベラさんの姿が見えなくなる。不安になって自分の手をギュッと握った。霧の中からバサバサと鈍く羽ばたく音が聞こえ、次第に霧が薄くなっていく。すぐにベラさんの赤い髪が見えてきた。
「ベラさん!」
私はベラさんの流れる髪を一房掴んだ。ベラさんは鬱陶しそうに頭を振る。髪は私の手からするりと離れた。
「つかむなって言ってるじゃないか。いい加減にしないとぶっ飛ばすぞ」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「冗談だよ。何本気にしてるんだか」
ベラさんは呆れたように言ったが、彼女なら本気でやりかねなくて私は苦笑いを浮かべた。
「そんなことよりも、敵のお出ましだぜ」
ベラさんの言葉に道の先を見ると、霧が晴れたそこに、長い黒髪の女の人が立っていた。ベラさんはなぜか楽しそうにニタリと笑った。
「やっぱり魔女だったか。しかも、よりによってお前とはな」
「お久しぶりでございます。今は……ベラ様と呼んだ方がよろしいのですかねぇ?」
アルさんが消えてしまったせいで買い物には行けず、私たちは一日中宿屋の部屋にいた。特に話もせず、私は椅子に座ってずっとアルさんのことを考えていた。ベラさんはフワフワと浮かびながら窓から外を眺めていた。
日が沈むであろうころ、ベラさんが独り言のように話し出した。
「悪魔とは、魔族の中で一番低いくらいにいる一族だ。魔物族のように力があるわけでもなく、魔女族のように魔力がずば抜けて高いわけでもない。どっちもそこそこなのが悪魔族だ」
「地位がどうしたんですか? そんなの関係ないじゃないですか。現に悪魔は人を食らってるわけですし……」
私がそう言うと、ベラさんは大きなため息をついた。首を左右に振りながら、お前はバカだなと呟く。
「悪魔たちは魔物みたいにむやみに人を殺したりしない、人徳があるやつらだ。それに、本当に食われているところを誰も見たことがないのも変な話だろ? こんなに手の込んだことをするだなんて、相当頭がキレるぞ」
「でも、だからどうなんですか?」
ベラさんが振り返って私を見た。赤とも黄色とも言えない彼女の瞳が妖艶に光る。一瞬寒気を覚えた。しばらくの間私はその瞳に魅入られていた。ベラさんが窓の外をチラッと見て、出口に向かって飛んでいく。私は慌てて椅子から降りた。
「どこへ行くんですか?」
「外だよ。霧が出てきた」
まさかと思って外を見ると、暗い道の奥から白い霧が流れてきている。振り返るとベラさんがいなかった。急いで下に降り外に出る。玄関を開けた先でベラさんは道の先を睨んでいた。私が話しかける前にベラさんが嬉しそうに言った。
「ほぅら。霧の悪魔がやってきたぜ」
島を離れてしばらくすると、あの分厚い雲が見えてきた。朝日が昇ったばかりなのに、あっという間に夜の様に暗くなった。海岸にあの小船が停留しているのが見えてくる。誰も乗っていないようだ。
「先に島に入ったか……」
誰に言うともなくつぶやいた。少し行くと小さな町があった。なぜかシンと静まり返っている。
「変だな? なんでこんなに人がいないんだ?」
しばらく飛び回っていると、道の真ん中で座り込んでいるアクアを見つけた。おーい! と大きな声で呼びかける。アクアがゆっくりと顔を上げた。
「ど、どうしたんだ!?」
アクアは泣いていた。ボクを見て、途切れ途切れになりながらも、ごめんなさいごめんなさい! と繰り返した。
「謝ってばっかじゃわかんないよ。一体何があったんだ? アルは一緒じゃないのか?」
「ごめんなさい! アルさんが悪魔に食べられちゃった!」
「はぁー!?」
ボクは大声で言った。ついついため息がもれる。
「食べられるところでも見たのか?」
「い、いや……」
「悪魔の姿は?」
アクアは静かに首を横に振った。
「ま、だろうな。悪魔族は別に、人間を取って食うような凶暴なヤツじゃない。きっと何かの間違いさ」
「間違いなんかじゃないよ!」
どこからか現れた小僧が叫んだ。この島の人だろうか。子供はなぜか必死に泣き叫んだ。
「みんな霧に飲み込まれて消えちゃったんだ! 僕のお父さんもお母さんも、島で一番強いお兄ちゃんだって!」
ボクは大きなため息を一つ吐いた。
振り返えると、目の前にベラがいた。
「な、なぜだ! 確実に撃ち落としたはず!」
「フンッ! 言っただろう? ボクはオメェなんかに捕まったりはしない」
風が吹いて、ベラの赤い髪が揺れた。俺は剣でその体を貫いた。雷が効かなくても、物理攻撃なら効くだろう。だが、手応えがない。俺は目を見開いた。ベラの姿が、陽炎の様にゆらゆらと揺らめく。ゆらめいた顔で、ベラがニヤリと笑った。
「“蜃気楼”」
「馬鹿な! こんな至近距離で蜃気楼だと!?」
「蜃気楼とは……」
揺らめいていたベラは完全に消え、代わりに頭上で声がする。見上げると、そこにベラがいた。真っ白な羽を羽ばたかせて飛んでいる。
「激しい気温差で生まれる幻。ボクの魔力を持ってすれば、気温差を作るなんてカンタンだ」
俺は黙ったまま、剣を突き上げた。剣先からベラに向かって雷が飛んでいく。その雷は、確実にベラの脳天を貫いた。しかし、そのベラの姿もまた揺らめいて消える。
「オメェなんかに、ボクを捕まえることはできないさ」
真後ろで声がする。振り向きながら剣を振るった。また消える。もう声は聞こえなくなった。空にも地上にも奴の姿は見えない。
「チッ! また逃げられたか。まさかあんな手が残っていたとは……これは、俺の方も作戦を練って挑まねぇと、そうやすやすとは捕まえられねぇな」
風が吹いて、赤い髪が揺れた。
「いい加減諦めて捕まったらどうだ!」
「冗談じゃないね。ボクは捕まる訳にはいかないんだよ! オメェが殺した彼のためにも……」
「俺が殺した? 思い当たる奴が多すぎて分かんねぇな」
俺は微笑を浮かべた。ベラは今、会話に夢中になってあまり動いていない。今なら狙って撃ち落とせる。俺はわざとベラを挑発した。
「戦争で死んだ奴か? あんきゃあいっぱい殺したからなぁ。一体誰のことだかさっぱりだな」
「彼は彼だ。村の人たちのことだってボクは忘れない。みんなボクの大切な人だったのに!」
「大切……? フッ、バカバカしい。いい加減学べ。てめぇと関わった奴は、例え会話をしただけでも殺すに値する。てめぇは存在してちゃいけねぇんだよ!」
「うるさい! 関係ないだろ!」
ベラが身を固め、力いっぱい叫んだ。もう十分だ。今の会話の間に狙いは定まった。もう逃がさないぞ、ベラ。
「これで終わりだベラ! “雷柱”」
太い柱状の雷がベラを貫く。ベラはこれぐらいじゃ死にやしないだろうが、体が痺れてしばらくは動けないだろう。俺は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「楽しそうだね」
背後から聞こえた声に、俺の笑みは引き攣ったものに変わった。